| 人類社会の健康と永続は「よめ・しゅうとめ」の感謝の心から |
| 甲南保健クラブ責任者 内科医 納 利 一 68歳 |
| 今日誕生した人も百年後には百歳である。その頃までには人類社会の構成員はほぼ全員入れ |
| 替わって、現在に生かされている私たちは過去の人である。どう考え、どうしたら人類社会が健康 |
| に永続していくであろうか。このような人生の根本問題を患者さんたちとの対話の中で考えていくた |
| めに「哲学内科の哲学コーナー」をつくった。ホームページ甲突川健康新聞にも公開していく。ホー |
| ムページの掲示板やメールでも対話していきたい。 |
| 対話による哲学診療では、まず最期のメッセージを考えてもらうことにしている。多くの方々が |
| 「ありがとう」と言えるような最期でありたい、と言われる。 |
| 父の時代からの患者さんで、今は老婦人であるが、若い頃、隣近所で「よいおよめさん」と評判 |
| だった方の言葉でである。私も「ありがとう」と言い遺せるようでありたい。しゅうとめの最期の言葉 |
| は「あなたのおかげで息子が幸福になり、孫たちが立派に育ってくれました。ほんとうにありがとう。 |
| あなたにはきびしいしゅうとめだったと思います。それはあなたに対する期待が大きかったからです。 |
| おゆるし下さい。」でした。この言葉でそれまでの苦労が苦労でなくなり、しゅうとめへの思いが変わり、 |
| 私の人生全体が変わりました。「ありがとう」はすばらしい言葉です。実家の母の言葉「おしゅうとめさ |
| んがきびしくして下さる時は、ありがとうと思いなさい。」を思い出すことでした。思えば、しゅうとめのお |
| かげで妻として主人を支えることができ、母として子供たちを育てることができたのです。しゅうとめへ |
| の感謝の気持が湧いてきました。ところで自分がしゅうとめとなってみて、よめたちに十分なことをして |
| あげられないことを反省させられます。たとえ生前にくまれたとしても、最期にありがとうと言えるようで |
| ありたいものです。 |
| 「よめ・しゅうとめ」の感謝の心から家が健康になり、家々の健康から地域社会が健康になり、人類 |
| 社会が健康に永続していくであろう、と思わされた次第であった。 |
| これはヘルシーニュース65号(2008年 平成20年4月発行予定)に掲載予定の原稿です。 |
| ヘルシーニュース65号に転載されました。 |
| ライフサイエンスに転載されました。 |
| ふるさと子供新聞97号に転載されました。 |
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